「案ずるより産むが易し」って凄い言葉だねって実感した話

さて、昨日の続きです。「人は達成感が必要」って話。挑戦と達成感なくして、自己評価ってあがらないんじゃない? と、思う訳です。




 

嫌なスパイラル

あたしは基本的に引きこもって、ブログや詩を書きながら生きてますが、職場に出勤する生活じゃないので「チャレンジする機会」ってものすごく少ない。それはつまり、「達成感を味わう機会が少ない」っていう意味にもなって、自分を低く評価する理由にもなっちゃうのよね。

達成感って、忘れるのよ。ほんとよ。

小さなことでもいいから、何かを成し遂げた喜びってとっても大切で、これがないと「自分は何もできない人間なんだ」って思い込んじゃうの。

実際には、意外とできる子だったりするのよ。でも、できる子の部分を実感することがないから「あれもできない、これもできない」って自分を責め続けてしまう。

そうなるとだ、「自分はなにもできない」って思ってるから、新しいことにチャレンジする意欲もどっかに行っちゃう。意欲がおでかけして帰ってこないの。意欲も居心地が悪いところよりは、いい所にいたいものね。うじうじしてると意欲が家出するのよ。

はい、ここでスパイラルの完成です。

達成感忘れる→自分は何もできない→挑戦なんて無理!→達成感忘れる∞

これはよくない。あたしもこれにはまりこんでたからわかるけど、本人が一番辛くて、どうにかしたいって願うけど、今の自分じゃどうにもできないってまた責めちゃう。

コレを読みながら「自分も一緒だ」って思ってる人、結構多いんじゃないかしら。

 

「自分はダメだ」は甘い毒

ぶっちゃけると、自分を卑下して「ダメ人間だー!わー!」って悶々とするのって、甘い毒なの。浸りきってると悪くないのよ。癖になっちゃうし。

精神的には辛いのよ。健康的な状況じゃないって理解してるし、もっと頑張るべきだって思うの。でも、心や頭のどこかで言い訳が入る

「だって仕方ない。ダメ人間だから」

気持ちは辛いけど仕方ないって所まで行くと、ほんとに脱出するのが大変なのよ(経験済み)

あたしはがんがきっかけ。

結構色々と摘出して、無くした機能も多かったの。その上ホルモンバランスを薬でコントロールしなくちゃならなくて、一気にうつ状態に入ったのよ。そのときの気持ちを箇条書きにするとこんな感じ。

・どうせあたしは傷物ですよ

・なんでこんな病気しなくちゃならないんだ

・みんなニコニコしやがって。健康っていいですねー。

・このまま枯れていくだけの人生なのかな。

・あー、自分にはなんにもない。

・いいもん。どうせ傷物だもん。ダメ人間だもん!

・愛だの恋だのなんて過去だもん。あたしの未来にはない!

・……とにかく目立たない服を着よう。人に見られたくない。

と、こんな感じ。実際はもっと口汚く色々なものを罵っていたけれど、それは放送禁止ってことで削除(うふふ

自分を否定し、世間を恨み、未来に失望し、消え入りたい気持ちだった。人前に出る気力なんてないから、お出かけもしなくなるのよ。そうなると、身綺麗にする必要ないから顔も洗わなくなって、世界が勝手に明るくなったり暗くなったりしているだけで、自分は長い一日を生きてるのよね。

時間に区切りがつかなくて、いつまでもぐるぐるぐるぐる「自分はだめだー」って海を、半分溺れながら泳ぐの。苦しいけど、やめられないのよ。それしかできないって頑に信じてるから。




 

アホみたいに自分を褒めてみる

気持ち悪いとか言っちゃダメ。自分って生き物は、褒められると頑張れる子かもしれないじゃない。なんでもいいの。どんな低次元のことでもいいから、褒めてみる。そうすると、自分って生き物は素直になってくれるのよ。

話は少し飛ぶけど……あたしがダメ人間を満喫していた頃に、よく思い出してたのが、同じ病棟に居た患者さん達のこと。亡くなられた方もいたけれど、みんな優しくしてくれたの。がんと戦い、残念なことに天国へ行ってしまった人たちのことを思い出しては、なんとなく自分の状況を申し訳なく思ってたのよ。

生きたくても生きられない人はたくさんいる。自分の日常は誰かが熱烈に願った夢なのかもしれない。

そう思うと、泣けてきて。

泣きながら、がんの宣告を受けた時のことや、治療してた頃のことをぽつぽつと思い出して、また泣いて。

わんわん泣きながら思ったの。「あたしがんばった」って。

治療は、種類によっては恥を捨てなきゃならないときもある、抗がん剤はかならず具合が悪くなる、後遺症はアレコレある……でもでも、それらぜーんぶを乗り越えて、今自分は生きてるじゃない。生かされてるじゃない。ダメだダメだって言いながらも、ちゃんと生きてるじゃない。

って、思ったら、すぅっと楽になったのよ。

失ったもの、できないこと、それらばかりを欲して自分を責めていたけれど、自分は何も持ってないわけじゃないのよね。体があり、心があり、時間がある。自由意志もある。

明日からヒップホップダンスを始めてもいいし、社交ダンスを習いに行ってもいいのよ。

そう。自分は何をしてもいいんだ。

って、少しだけ自分を褒めてあげられて、少しだけ自分のことを好きになって、少しだけ希望が持てたの。

これがきっかけ。ここからあたしはほんとうに少しずつだけれど、生活を楽しむことを思い出そうとしたの。ただ、楽しむ為には、自分が動かないとならないのよね。動くことを忘れた自分を動かすには、もっと大きなきっかけが必要……ってことで、「自分を褒めよう作戦」を展開したわけだ。

朝顔洗った自分を褒める「偉いじゃん」

歯を磨いた自分を褒める「すごいすごい」

ここから始めて、生活のリズムを取り戻していくにつれ、気持ちもどんどん変わっていったの。自分を褒めて、おだてて、動かすことで、環境って変わって行くのよね。

 

そして欲しくなるのは「達成感」

日々の生活を取り戻しながらも、やっぱり心のどこかには「自分はなにもできない」って思いが居座ってて、何をするにもハードルが高い。

それは今でも続いててね、この前も、お出かけの用意をしながら、体温調整が上手にできなくなって、軽くパニクって、くたびれまくり、結局お出かけできなかった。

以前のあたしなら「お出かけもできないダメ人間」って思ったけど、今は「出かけようと頑張ったんだ、こんな日もある」って思えるの。というか、思うようにしてる。出かけられなかった記憶を心に刻み付けて、何もできない自分に戻るのはいやだもの。一進一退しながらも、意欲を失いたくないのよね。

だって、「お出かけできた、わーい!」っていう達成感が欲しいから。

達成感が増える度に、自分を好きになれる気がするの。

人って、達成感が欲しいからスポーツをしてみたり、勉強してみたり、山を登ってみたりすると思うの。自分を認めてあげられる材料って一つでも多い方がいいじゃない。人は無意識のうちに、その材料を求めているんだと思うのよ。

最初の一歩が踏み出せなくてスパイラルにはまり込んでる同志の皆さま、思い出して「案ずるより産むが易し」って。

今回、友人の「文学フリマに参加します」宣言をきっかけに、大それたことだと戦きながらも本を作ってみて、あっけないほど簡単だったの。何を恐れていたんだろうってくらいだった。

原稿を作るのは大変だったし、時間も手間もかかったけれど楽しかったら結果オーライ。原稿を送るのもネットっていう文明の力があるからすんごい簡単。住んでる場所も、年代も、ルックスも関係なく、あっさりと本がつくれちゃう今の世の中って、意外と素敵かもしれないわよね。

このあっさり感って、「面倒なときのお風呂」に似てると思うの。お風呂に入るまで、アレコレと自分に言い訳するじゃない? 今日は疲れただの、あんまり汗かいてないだの。でも、そこから一歩踏み出してお風呂に入ると、幸せだし、そんなに面倒なことでもないなーって思うのよね。髪とか洗いながら「なんだ、これだけのことだよ。なにを面倒がってたんだろ」って。

お風呂の後は幸せが待ってる。それは誰もがわかってること。挑戦の後にもちゃんと幸せが待っていてくれてると思うのよね。

なので、みなさま。ぜひともハードルの低い挑戦から始めましょ。どんだけ低くても大丈夫。あたしは横断歩道を渡ってコンビニに行って感動したことあるわ(普段は車でドアトゥドア)。

って、今回も長くなってごめんなさい。簡素にまとめるっていうのが課題だわ。そのうち上手にできると思うので、気を長くして待っていてくれると、小躍りして喜びます。これも挑戦リストに入れておきましょ。

では、また近いうちに♥︎

 




 

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